きれいごと について
こういう表現をあてがって、実現しないものごとへのいいわけにしているパターンが多すぎて、もはやそれが常識レベルにまで浸透してしまっている社会のスタンダードがあるのではないかと思う。この状況は、社会全体がより良い方向へ向かうことの妨げになっていると言う他ない。みんなでそうやって、
できない、実現しない言い訳を
唱えあって、
理解しあって、
慰めあって、
お互い気の合う同格の人間と認知し合う。
結果、
誰もが頭の中では間違いや、悪しき風習と気づいているものを、いつまでたっても変えられない。そんなパターンが根付いているから、最初からこんな風に思っているんだろう。
無理に決まってる。
そんなに世の中甘くない。
簡単に人は変わらない。
またあいつが騒いでる。
そしてみんなで結論付けるんだろう。
あいつの言うことはきれいごとだ。
正論にすぎない。
きっとそうだ。
これまでも幾度となく主張してきたこと。
ここでも撤回しない。
言葉とは、皆で同じ意味を持たせようと口裏を合わせた記号にすぎない。
それを正として、せめて今だけでも考えてみてほしい。
例えば似ているようで全く違う二つのこんな言葉。
夢 と 目標
夢はいつまでたっても夢のまま。セットで使われる言葉に、 いつか というものがある。
叶わないことで夢は夢であり続ける。
目標は叶えるためにある。特にビジネスの世界では、目標には期限がともなう。
いつまでにやる。
おかげで目標には行動がともないやすい。行動がともなうから、果たされることも多いし、果たせなくとも、何かを学び、次のトライへの意欲につながりやすい。そして、諦めなければいつか果たされることになる。
本題を見てみる。
きれいごと。
この言葉は、変わらない態度を決めつけている時に使う。だから当然、きれいごとが実現することはない。変わらないことが前提にあるということは、同時に、変えるための行動をしないことを宣言するのと同じこと。
どうせ変わらないから、
変えようとしないという意思表示なのだろう。
まるで叶わない前提の、夢のようなはなし。
変える気のないきれいごと。
そう、みんなでいっしょに、
きれいごと。
これもまた、言葉であるからには記号にすぎない。記号が持つ意味合いに不具合があるのなら、その記号を使わないという試みが有効かもしれない。
そろそろ気づいていこうよ。
きれいごと。
みんなでその記号をあてがっているうちは、いつまでたってもきれいごとのままだ。
本気でやろう。
本気で変えよう。
本気で守ろう。
アクションを起こせ。
そして、
失敗を積み重ねよう。
その度に気づき、次のトライへの活力にしよう。
このはなし。
きれいごとですか?
・・・
あれ?
俺もこの記号、また使ってるなあ。
まあいい。
そうくるなら言い切ってやるだけだ。
きれいごと。
本気でやってやるよ。
いっしょにやるやつ、
ついてこいよ。
やらねえやつら、
一生慰めあってやがれ。
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