無題(フリーライティングスタイル)

久々にも程がある、それくらい久々。
ある程度、
「内容の伴う投稿しましょうっ」て、お客さんにはいってるけど。

会社のサイトで意味わからん事ばっか書いて。
いろいろ考えた時期はあった。
だからしばらくほっといた。
そしたらこのごろ、いろいろ変わり始めた。

変わったもの。

まず、個人のサイトがドメイン切れてた。
維持管理に責任無いからと、自動更新設定にもしてなかったらしい。

おそらくこれは、会社のサイトで好きなこと書けということでしょう。
なるほど、ちょうどそんな気分だったし。

ついさっきも知人と話してたとこだけど、なんだか最近なにかがおかしい。
全部は書ききれない。
シンクロニシティ的なものも多い。
時空のような大きなものが動くとき、分かりやすく、そして、発生しやすい現象。
ただちょっと規模がでかい気がする。

そこからも分かるように、シンクロニシティ的な現象、こいつを偶然の一致などという日本語にしてしまってはどうにも一言申したくなるわけです。ちゃんと傾向がある。これらの多くは、おそらく数世紀もすればみな科学現象になっているに違いない。

世間でよく聞く言葉の一つ。「非科学的」

なるほど。多くの場合、相手方の論拠の破綻を指摘するような目的で多様されているようです。
が、結果は発言者自身の見地の狭さが露呈しているだけだとしか言いようがない。

正しくは、「科学がまだ追いついていない領域。」

もしくは、あまり大声でいえないけど、なにか大きな力や事情があって、
「一般レベルでは事実が知りえない領域」なんてこともありえる。

科学的見地への過度な偏り、人間社会の事情、
こういうものが見地を狭めることはよくある気がする。
計り知れない宇宙の規模でみたら、どうでもよいといったレベルの話。

私は科学者を尊敬します。
意義深いとも思います。
科学の恩恵の中に私も生きてます。

科学や科学者を悪く言ってるつもりはまったくない。
むしろ、まともな科学者ほど、分からないことだらけだと知っている。
ごちゃごちゃ賢いふりしてるやつらほど、科学的根拠にめっぽう弱い。

まあいいんだけど。

身近なところでおこった小話をひとつ。

もともとだけど、最近は仕事も詰まっててどうも引きこもりの電磁波の洪水、おかげですこぶる体調は優れなかった。
職業の影響も病歴の影響も、いろいろあって心と体の両面のバランスには気を使っている方ではある。

それにしても調子が悪い。
これじゃまるで、命を削って働いちゃってるじゃねーかよ!

そう思った瞬間、ピンと来たわけ。

なるほど、仕事はともかく、生きてるということは、同時に命を削るということなんだと。
命がけで生きてる。

よく考えたら当たり前の話。
そんな風に思ったら、むしろなんだかリアリティ湧いちゃって、
なんだか体調も整ってきたぞっ。ほんと俺って精神的ないきものだわー。

よる、

仕事に疲れて、
ある人が俺にいったんですよ。

「命削ってはたらいてる感じになってるわー」って。

きたー、シンクロ!
めっちゃ自信あるやつやんけ。

で、俺はいったわけ。

「何を言ってんだい、生きるとは、命をけずるってことなんだよ」って・・・。

で、これが思ったより感触良くて、よっしゃーって思ったの。
反応がいいとやっぱうれしいんだなあー。

そして、若いころさんざん探して見つかんない。
陽水さんもうたってる、探してるうちは見つかんない。

幸せってやつ。

そいつを感じたね。

生活とは、
生きる活動です。

生きるとは、
それはもう書いた。

まあまあ、これからはたまに書きます。
それは私の生活の一部です。

さあもう遅い。
深堀希望者は、夢の中へ。

2020,10,16
Shunij Matsuo

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