先回の続き ※としか言いようがない

 

※先回途中降板お詫びいたします。しかし、丁寧な謝罪よりは、しっかり本質でお返しするつもりの執筆なのです。

※重ねて勝手失礼いたします。先回未読の方は是非そちらこらの閲覧を強くお勧めします。

 

 

 

↓↓↓本線続き↓↓↓

 

人生当然それぞれいろんな事情はあるわけで、

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表現活動してるやつも、

してたやつも、

 

継続的に活動してるやつらにも、当然気づきや変化はあるし、原状活動してないやつらも、してない理由は様々。興味の先が変化したパターンは別に好きにしたらいいんだけど、気になるのは、本心ではやりたいと思ってるのにやってない、もしくはできてないパターン。

 

後者に関しては、伝えたいこと山ほどあるわけ。

当然現実問題、諸事情あるのは承知してる。

 

だからって、別に恩着せがましく“キレイゴト“かましたわけでもないんだけど、久しぶりの何気ない会話の中で、面白い変化見せてくれてるやつがいて。

 

そんな、古い仲の、とある写真家のはなし。

※今から本題なの?って・・・。毎度ごめん。

 

久々の電話で花咲いて、昔話なんかに満足してたんだけど、後日一通メールが飛んできたわけ。

 

なんでまたメールなの?

えっ、長っ!

俺のコラムのコピー?

 

って読んでみると、面白いなかなかいい感じ。言ってることよくわかるし、正直だし。だからリアリティあるし。※どこまで詳細さらけ出せるかは別として。

 

さすがに全部詳細は書けないから、系統だけ言っとくけど、

 

  • 幼少期から重ねてきた妥協のこと。
  • 身内での出来事から湧いた、“死“ というテーマについての考察。
  • 成人後の妥協のこと。→俗に言う“普通の人生“を選択したことで今更浮き彫りになってしまった悪影響についての考察。
  • いろいろ巡って、「もう一度、表現活動する」という結論に至ったという意思表示。

まあ、ざっくりこんな感じ。

これに返答書いて、読み返したら、

 

あれ?

これって、共有してもらっていい内容じゃないかなって思って。

ある意味、僕自身の“幸福論“の類のもので、提示して問題無いんじゃないかなって思って。

正直、

 

多分誤解恐れて遠まわしな表現してきちゃってる部分否めないし、

せっかく書いたんだし、

 

ってことで、返信メール、ほぼそのままノーカットで載せようかと思い出しております。

 

と同時に、

 

なんか良いもの

 

波動とか、気、の様なものが

 

来てる気がする。

 

でもそれすると、さすがに今回、長すぎるんで、行ったん締めましょうか。

 

うんそうだな。

 

まあ、いろいろあって近々新しいコンテンツ、思い切ったタイトルで連載始めるんで、乞うご期待ということで。まだ公開ドメインも決まってないですが、何らかの告知はここでもします。

 

では、興味と時間ある方だけ、明日以降また来てください。

 

 

珍しく予告しときます。

※コラム宣伝=コラセン なのです。

 

なんだか僕自身、書ける気がするんで思い切って。

 

次回、松尾俊治 幸福論 序章

 

これいきます。

 

see you !

Shunji Matsuo

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