今日の話。厳密には昨日。
近所のTSUTAYA寄り道パターン。よく行くんだけど。
程よい田舎のTSUTAYA
三重郡菰野店
馬鹿の壁シリーズに代表される書籍や、ご自身の昆虫への興味などを切り口に、多くの本質的助言を社会に提示してこられた養老孟司さんが、新刊を出されたようで、
あっ、今回はなんだろう?
って通り過ぎようとするんだけど、足を止めずにはいられなかったの。
だって角度が・・・。
いつか来るとは思ってたテーマだけど、タイトルも予想ドンピシャ!
「遺言」
違うテーマでもほぼ100%読むんだけど、これは読まなきゃ今まで追ってきた意味が全くないってわけで、書評系統ノーチェック、一発OK手にとって、なんとなくお決まりのルートでTSUTAYA散歩、レジ通してまだレジュメも見ていないのだけど。
ググってもないから外してるかもしれないけど、
これ、幸福論 最終章でしょ?
そりゃそうだよ、それ言わずに養老さんと言えど、どこへも行かせないってのは正直なところだけど。
まあ、読んでないのだから書くこと無いけど。
これは急がず、
ちょっと余裕多めの時に、
ゆっくり拝見します。
結局、営利非営利いろいろあるとは言え、多くの意思ある活動と言うものは、つまるところ「幸福論」だと思っていて。社会に常に飛び交ってる多くのメッセージや、分かってても変えられない原状の人類のシステムの危うさなんかも、結局つまるところ、この幸福論の本質的な普及であり、それによって、大きな社会の思考がシフトしていかなきゃ根本的解決はないと、個人的には原状信じていることは明確に宣言しておいて良いと思っている。これ言っちゃうとまたいろいろあるかもしれないけど、必ず大きなネックになてくる宗教といった類のものも、本質的には同じであって、それらが時間と共にいろんな枝を付けて、影響力の強い実体ほど、拠り所にも障害にもなっていると個人的には考えている。※ここでいう影響力とは、人口と考えてほぼ外してないと思う。ここ深めるのは別の立場もしくは機会に。
まあ、他者のことは別にいいんだけど、結局僕自身も、小さいなりにいくつかの角度の活動を営利、非営利の両方ともをやってるつもりだし、そのバランスを上手くとっていこうとしてる様な段階なのだけど、先述の通り、つまるところは同じであることは言っておいてもいいかなと。
大きな目的、活動の導線部分にはくるいはないのだけど、実質的な段階に落とし込むとなるとなると、常に迷いはある。例えばそれは、あるコンテンツのアイデアがあって、メンバーの共感と熱量確認まではできてたとして、さあ制作となった場合のタイトルといった部分。真実であればいいということでもない。不毛なタイプの批判などは別として、真剣な議論と言う前提において、極力誤解のないタイトルは選んでおきたいわけで。
多くの表現者との縁の中で、古い仲のある一人が、興味深い変化を見せてくれてて。
あああ、
なんかだめだ、
眠い。
感触は悪くないけど、
許容クオリティ維持不能と判断いたします。
アイキャッチ画像等は後日手配といたします。
勝手ながら、少し寝ます。
ご興味ある方、明日以降またおこしください。
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Good Night !
Shunji Matsuo
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