自分の居場所を探すな。
どこにいるのか、探される存在になれ。
自分の仕事に自信がない人が、普段はあきらめ入って愚痴がちになってたりして、たまに大きなものの動きの狭間でチャンスのように感じる状況が生まれると、たちまち言動、行動が変わる。
よく見るパターン。
世間ではこれを、長いものにまかれると表現する。
張り切るのは良いことかも知れない。
が、しかし。
そういうタイミングで実力や自信が真の意味で共なっていないと、話は厄介方向へ向く。
想定通りの立ち振る舞いとあいなる。
その心理を読み解くのはたやすい。
「俺でも頼られてるぞ」
「結果を出すんだ!」
ここまではまだいい。
少し眺めているとこうなる。
「俺は任されたんだ!」
「お前らは俺のやり方に従え!」
「協力しろ!」
始まる前から人のせいが始まっている。
・・・ (言葉がないということ)
まともな人は、自分がたいしたことがないことを知っているものだ。
人をまとめられる人は、人を支配しようとはしない。
むしろ分け隔てなく人の話を聴くものだ。
自覚のある不足は焦りを生む。
主導者の焦りは関係者の怒りや反感を生む。
自覚のない不足は、歳と共に、指摘の機会をも失っていく。
居場所を与えられているうちは実力か信用のどちらか、またその両方が欠けている。
必要とされる人間は、常に誰かに探されている。
電話がなる。
メールが届く。
噂が回る。
その人を中心にした円の外側が回る。
その人があなたなら、あなたは自由に人間活動を営めばいい。
創設間もないティグリスは、まだ不本質的なものに巻き込まれるケースが少なくない。
やむを得ない部分はある。
ただ、ティグリスのメンバーは、背伸びもしない代わりに、必要以上に謙遜もしない。
自信のあること、培って来たものを疑うことはない。
それを阻む不本質な存在とは、極力関わらないのは会社の方針だ。
市場価値を高める努力を継続し、
実体のある価値をブランディングする。そこは特にうまい。たぶん。
価値の噂がしかるべき相手にリーチしたなら、
遠慮なく力を発揮する。
ティグリスの請負チームは、居場所を探したりしない。
縁が縁をよんで、強いくクリエイティブな奴らが日々増加している。
そうでなかった奴らが、日々気づきを重ねている。
認知だけが及ばない創業期の現状を冷静に受け止めている。
黙ってて探される存在になれてるとは思っていない。
ただ、そういう存在を目指している。
社会へのメッセージは唯一一言だけだ。
「ティグリスはここにいる。」
そう言えるだけのタレントは、すでにそろっている。
我々は今後もその価値を高めて行くだろう。
-令和元年 7月2日-
創業から第一期を終え、第二期に入る。
志ある人間活動家の寄り合い、ティグリス=虎(学名ラテン語)
今まさに、革命期に突入したところ。
アクション!
さあ、静かに目を覚ませ!!
アクション!
共に生きよう!!
2019,06,20 Shunji Matsuo for my all brothers.
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